Category Archives: 新・鉄道日記

なごやんの新・鉄道日記(1)シュヴァルツヴァルト

さあ、新シリーズを始めるぞ、と準備をした途端、このブログの終了が告げられました。
 
いずれはこうなるであろうと予想はしていましたが、MSNらしく突然の通告でした。(ただし、半年近くの余裕はありますが。)
来年3月には完全に消滅しますので、それまでにWordPressに移行しなければなりません。またいつものように何が起こるかわかりませんので、もうしばらくspaces.liveのままにしておきますが、様子をみながら今年中に移行する予定です。
 
このスペースは重くて、使いにくいことも多いのですが、何よりもうっとうしい広告がありませんし、スッキリしていて見易いと思っています。フォントの自由度が高いのも私好みです。
ただ、最近ではこれまでにも増してメインテナンス後の不具合が多くなってきていましたし、そろそろ撤退だなとは踏んでいました。
 
さて、つつがなく新ブログに移行されることを見込んで、とりあえず新シリーズ第1回目です。
 
★プロローグ
 
なごやんの鉄道日記全50回では1年間にわたり旧国鉄、現JRの鉄道を眺めてきました。そのシリーズは既に終了しています。
なごやんの続・鉄道日記ではそれらを補完していきます。これは間遠ながら継続させます。
今回新たに加えた「なごやんの新・鉄道日記」では外国の鉄道の経験を書きます。これもボチボチ思い出したように書いていきます。
 
最近では内勤だけになってしまいましたが、少し前まではちょくちょく外国出張があった私は、その国へ行く時にはやむを得ず空路でしたが、着いてしまえば原則として陸路、しかも鉄道を利用しました。そのため、同行者と別行動をとったり、のんびりした観光をミスったりもしています。
一方、思わぬ出会いがあったりもします。
そんなこんなを綴っていきます。
残念なのは、その時代、あまり写真を撮っていないということです。
 
第1回は貴章つながりというわけではないですが、シュヴァルツヴァルトを含むドイツ南西部での経験です。
 
★いざ、ドイツへ 
 
何年か前のある日、仕事でドイツへ出張しました。行き先は歴史と学生の街、ハイデルベルクです。

 
4月25日
名古屋空港(0900)~~~~成田空港(1300)~~~~フランクフルト空港(1814)---[DB]---(1840)マインツ中央(1906)---[IR 2313]---(2000)ハイデルベルク中央 (泊) (DBはドイツの国鉄IRはドイツの急行、インターレギオです。)
ハイデルベルクへ着いたのは夜。次の日にはドイツでの仕事場にもなるホテルにチェックインして寝るだけでした。
 
★アルテ ハイデルベルク
 
4月26日~29日
ハイデルベルク滞在
 
街からはそのホテルまでケーブルカーで行かなければなりません。山腹のこの駅を降りてあるのは私たちの泊まっているホテルだけで、街へ出て遊ぼうなんてことは全くできません。
  
ハイデルベルク城を横に見てケーブルカーでホテルへ行きます。  山腹のホテルから見下ろすハイデルベルクの街
 
★ネッカー川
 
途中休日がありましたので、その時にはケーブルカーで街へ下りました。
   例によって、きっぷを渡さず持ち帰るなごやんです。
ケーブルカーとそのきっぷ
 
切符に印刷されている HSB Heidelberger Straßen- und Bergbahn の略で、無理に英語を充てれば Heidelberg’s Street- and Mountain Rail といったところでしょうか。
 
街ではネッカー川を舟で下りました。
  ネッカー川を下るなごやん
 
★シュヴァルツヴァルトへ
 
4日間の仕事は終えたのですが、そのまま帰国するのはもったいないと考えた私はもっと離れた場所、スイス国境の街、コンスタンツに敢えて別の「仕事」を作りました。
いや、実は・・・シュヴァルツヴァルト(Schwarzwald~黒森)を通ってみたかったのが本音というのは内緒です。折角、ハンブルクやベルリンではなくハイデルベルクへ来たのですから。
 
 
4月30日
ハイデルベルク中央(0845)---[IR 2473]---(1213)コンスタンツ (泊)
 
私が訪独した頃はハイデルベルクからはインターシティーはなく、インターレギオ(Interregio)という急行で行きました。この路線、ハイデルベルクを出るとカールスルーエからオッフェンブルクへ向かい、そこからシュヴァルツヴァルトを通ってドナウシンゲンに入ります。ドナウエシンゲンからはジンゲンを通り終着コンスタンツです。貴章の住む(もうそろそろ住処は決まったかな?)フライブルクはかすってしまいます。
  インターレギオの切符
 
いくら憧れのシュヴァルツヴァルト行きであっても、私は決して1等車などには乗りません。ごくフツーの2等車です。あまり綺麗でありませんが、その国の文化を直に感じることができます。
 
★国境の学園都市コンスタンツ、ボーデン湖
 
コンスタンツドイツスイスにまたがる街で、ホテルは駅から比較的近いところにありました。
 
私はコンスタンツ大学理学部の物理学の先生を訪ねたのですが、初対面にもかかわらず、その日の夕食は彼の家で奥さんの手料理でした。アスパラガスの季節ということでクタクタに茹でた白アスパラガスがボウル一杯に出てきたのには少々閉口しましたが、日本では高級品ですから、たくさんいただきました。奥さんは国境を越え、スイスで働いているそうです。ほとんど国境の意識はありません。
 
コンスタンツ大学は理学政経人文の3学部を有し、それぞれの分野で実績のある、ドイツの中でも堅実で優秀な大学のひとつです。
建物が斬新だったのが印象的でした。プロローグにも書きましたが、この頃私は写真を撮る習慣がありませんでしたので、パンフレット類や切符しか残っていません。今から思えば残念です。
   ←大学のパンフ
 
国境の街コンスタンツの駅舎はドイツ側とスイス側にひとつずつあります。コンスタンツ大学は丘の上にあり、ボーデンゼー(湖)を見下ろしています。
 
コンスタンツへ着いた日のランチはその先生と2人でボーデン湖畔で摂りました。そこにあるのは「静寂」でした。シーンとして人工的な音は一切ありません。ナイフとフォークをカチャカチャいわせる音すらありませんし、出せません。
時折、鳥の鳴き声や木の葉のカサカサいう音、かすかな風の音がするだけです。こんな静けさは私が幼い頃にも経験したことがありませんでした。
貴章も、何かの折には独りでここへ来るといいのに・・・
 
結局コンスタンツで「仕事」をしたのは4月30日の午後だけでしたが、大学へ行き、非常に濃厚な時間を過ごせました。
 
夕食後の1時間強と5月1日の朝だけちょっとした買い物に街を歩きましたが、そろそろ帰らなければなりません。
 
★あ~あ、また現実回帰
 
コンスタンツから最も近い空港はスイスのチューリッヒ空港で、1時間もせずに着くのですが、ひとつの目的だけで日本を出た私のパスポートで入れる国はドイツだけですので、フランクフルトまで戻らざるをえませんでした。もちろん、空路でフランクフルトへ行くテもあったのですが、陸路優先、列車優先が私のポリシーですので、インターレギオで戻ることにしました。
  ドイツだけで有効なパスポート(いわゆる一次旅券)
 
5月1日
コンスタンツ(0949)---[IR 2100 Bodensee]---(1415)フランクフルト中央(1445)–<地下鉄>—フランクフルト空港(2050)~~~~ (泊)
帰りのインターレギオにはボーデンゼーというニックネームが付いていました。
 
5月2日
~~~~成田空港(1850)~~~~名古屋空港
 
次の日職場へ行くと1週間分ため込んだ仕事、そして戦いの日々が待っていました。
つかの間のドイツ の休日 出張 でした。
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