Monthly Archives: 9月 2010

なごやんの新・鉄道日記(1)シュヴァルツヴァルト

さあ、新シリーズを始めるぞ、と準備をした途端、このブログの終了が告げられました。
 
いずれはこうなるであろうと予想はしていましたが、MSNらしく突然の通告でした。(ただし、半年近くの余裕はありますが。)
来年3月には完全に消滅しますので、それまでにWordPressに移行しなければなりません。またいつものように何が起こるかわかりませんので、もうしばらくspaces.liveのままにしておきますが、様子をみながら今年中に移行する予定です。
 
このスペースは重くて、使いにくいことも多いのですが、何よりもうっとうしい広告がありませんし、スッキリしていて見易いと思っています。フォントの自由度が高いのも私好みです。
ただ、最近ではこれまでにも増してメインテナンス後の不具合が多くなってきていましたし、そろそろ撤退だなとは踏んでいました。
 
さて、つつがなく新ブログに移行されることを見込んで、とりあえず新シリーズ第1回目です。
 
★プロローグ
 
なごやんの鉄道日記全50回では1年間にわたり旧国鉄、現JRの鉄道を眺めてきました。そのシリーズは既に終了しています。
なごやんの続・鉄道日記ではそれらを補完していきます。これは間遠ながら継続させます。
今回新たに加えた「なごやんの新・鉄道日記」では外国の鉄道の経験を書きます。これもボチボチ思い出したように書いていきます。
 
最近では内勤だけになってしまいましたが、少し前まではちょくちょく外国出張があった私は、その国へ行く時にはやむを得ず空路でしたが、着いてしまえば原則として陸路、しかも鉄道を利用しました。そのため、同行者と別行動をとったり、のんびりした観光をミスったりもしています。
一方、思わぬ出会いがあったりもします。
そんなこんなを綴っていきます。
残念なのは、その時代、あまり写真を撮っていないということです。
 
第1回は貴章つながりというわけではないですが、シュヴァルツヴァルトを含むドイツ南西部での経験です。
 
★いざ、ドイツへ 
 
何年か前のある日、仕事でドイツへ出張しました。行き先は歴史と学生の街、ハイデルベルクです。

 
4月25日
名古屋空港(0900)~~~~成田空港(1300)~~~~フランクフルト空港(1814)---[DB]---(1840)マインツ中央(1906)---[IR 2313]---(2000)ハイデルベルク中央 (泊) (DBはドイツの国鉄IRはドイツの急行、インターレギオです。)
ハイデルベルクへ着いたのは夜。次の日にはドイツでの仕事場にもなるホテルにチェックインして寝るだけでした。
 
★アルテ ハイデルベルク
 
4月26日~29日
ハイデルベルク滞在
 
街からはそのホテルまでケーブルカーで行かなければなりません。山腹のこの駅を降りてあるのは私たちの泊まっているホテルだけで、街へ出て遊ぼうなんてことは全くできません。
  
ハイデルベルク城を横に見てケーブルカーでホテルへ行きます。  山腹のホテルから見下ろすハイデルベルクの街
 
★ネッカー川
 
途中休日がありましたので、その時にはケーブルカーで街へ下りました。
   例によって、きっぷを渡さず持ち帰るなごやんです。
ケーブルカーとそのきっぷ
 
切符に印刷されている HSB Heidelberger Straßen- und Bergbahn の略で、無理に英語を充てれば Heidelberg’s Street- and Mountain Rail といったところでしょうか。
 
街ではネッカー川を舟で下りました。
  ネッカー川を下るなごやん
 
★シュヴァルツヴァルトへ
 
4日間の仕事は終えたのですが、そのまま帰国するのはもったいないと考えた私はもっと離れた場所、スイス国境の街、コンスタンツに敢えて別の「仕事」を作りました。
いや、実は・・・シュヴァルツヴァルト(Schwarzwald~黒森)を通ってみたかったのが本音というのは内緒です。折角、ハンブルクやベルリンではなくハイデルベルクへ来たのですから。
 
 
4月30日
ハイデルベルク中央(0845)---[IR 2473]---(1213)コンスタンツ (泊)
 
私が訪独した頃はハイデルベルクからはインターシティーはなく、インターレギオ(Interregio)という急行で行きました。この路線、ハイデルベルクを出るとカールスルーエからオッフェンブルクへ向かい、そこからシュヴァルツヴァルトを通ってドナウシンゲンに入ります。ドナウエシンゲンからはジンゲンを通り終着コンスタンツです。貴章の住む(もうそろそろ住処は決まったかな?)フライブルクはかすってしまいます。
  インターレギオの切符
 
いくら憧れのシュヴァルツヴァルト行きであっても、私は決して1等車などには乗りません。ごくフツーの2等車です。あまり綺麗でありませんが、その国の文化を直に感じることができます。
 
★国境の学園都市コンスタンツ、ボーデン湖
 
コンスタンツドイツスイスにまたがる街で、ホテルは駅から比較的近いところにありました。
 
私はコンスタンツ大学理学部の物理学の先生を訪ねたのですが、初対面にもかかわらず、その日の夕食は彼の家で奥さんの手料理でした。アスパラガスの季節ということでクタクタに茹でた白アスパラガスがボウル一杯に出てきたのには少々閉口しましたが、日本では高級品ですから、たくさんいただきました。奥さんは国境を越え、スイスで働いているそうです。ほとんど国境の意識はありません。
 
コンスタンツ大学は理学政経人文の3学部を有し、それぞれの分野で実績のある、ドイツの中でも堅実で優秀な大学のひとつです。
建物が斬新だったのが印象的でした。プロローグにも書きましたが、この頃私は写真を撮る習慣がありませんでしたので、パンフレット類や切符しか残っていません。今から思えば残念です。
   ←大学のパンフ
 
国境の街コンスタンツの駅舎はドイツ側とスイス側にひとつずつあります。コンスタンツ大学は丘の上にあり、ボーデンゼー(湖)を見下ろしています。
 
コンスタンツへ着いた日のランチはその先生と2人でボーデン湖畔で摂りました。そこにあるのは「静寂」でした。シーンとして人工的な音は一切ありません。ナイフとフォークをカチャカチャいわせる音すらありませんし、出せません。
時折、鳥の鳴き声や木の葉のカサカサいう音、かすかな風の音がするだけです。こんな静けさは私が幼い頃にも経験したことがありませんでした。
貴章も、何かの折には独りでここへ来るといいのに・・・
 
結局コンスタンツで「仕事」をしたのは4月30日の午後だけでしたが、大学へ行き、非常に濃厚な時間を過ごせました。
 
夕食後の1時間強と5月1日の朝だけちょっとした買い物に街を歩きましたが、そろそろ帰らなければなりません。
 
★あ~あ、また現実回帰
 
コンスタンツから最も近い空港はスイスのチューリッヒ空港で、1時間もせずに着くのですが、ひとつの目的だけで日本を出た私のパスポートで入れる国はドイツだけですので、フランクフルトまで戻らざるをえませんでした。もちろん、空路でフランクフルトへ行くテもあったのですが、陸路優先、列車優先が私のポリシーですので、インターレギオで戻ることにしました。
  ドイツだけで有効なパスポート(いわゆる一次旅券)
 
5月1日
コンスタンツ(0949)---[IR 2100 Bodensee]---(1415)フランクフルト中央(1445)–<地下鉄>—フランクフルト空港(2050)~~~~ (泊)
帰りのインターレギオにはボーデンゼーというニックネームが付いていました。
 
5月2日
~~~~成田空港(1850)~~~~名古屋空港
 
次の日職場へ行くと1週間分ため込んだ仕事、そして戦いの日々が待っていました。
つかの間のドイツ の休日 出張 でした。
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アウェー 浦和戦

浦和 2-0 新潟
 
チケットは買っておいたのだが都合で埼スタへ行けなくなった私は岡崎の「民家」でスカパー参戦した。東海サポ総勢5名。
キックオフ前ごろのこの地方は暖かいというより暑いくらいだった。
 
前半、アルビが攻勢に出て、惜しい場面を何回か作っていた。
あまりにも浦和寄りの解説に辟易としながらも、アルビのゴールを待った。
しかし、なかなかゴールネットを揺らせない。ヨンチョルが一人で何とかしようとする場面も多く見られ、後半の疲労が心配された。
 
前半アディショナルタイムに試合は動いた。確かに動いた。
柏木のゴールは見事というほかなかった。強いて言えば、柏木に余裕を与えてしまったのがまずかった。
「終了間際が危ないんだよな。」
誰ともなくつぶやいた一言だったが現実になってしまった。
 
後半にもよく攻め入ったアルビだったが、追加点を奪われると、もうそれを取り返す力は残っていなかった。足が止まったのはアルビだった。
 
勝てない。特に浦和には得点すらできない。
 
やはりマルシオの穴は大きいのか?
 
次節もアウェーの試合ではあるが、マルシオミシェウの復帰はあるだろうか?
 
ヨンチョル高徳の個の力だけで勝つことはできない。
とにかく、選手一丸となって10月2日はセレッソを打ち砕こう。
 
応援の皆さん、お疲れさまでした。

なごやんの続・鉄道日記(4)山陽本線/新幹線

またもや「アルビ日記」をすっ飛ばしての続・鉄道日記です。今回の関連日記は鉄道日記第49回東海道・山陽新幹線等)と鉄道日記第39回山陽本線)です。
昨日、所用で東広島市を訪れました。
この日の起点は福岡で、広島までは新幹線広島からは山陽本線、帰りは東広島から新幹線でした。
 
9月22日
博多(1400)---[新幹線のぞみ38]---(1505)広島(1514)---[山陽本線]---(1551)西条
 
山陽本線の広島近辺は今やJR東海の東海道本線で言えば静岡近郊ということでしょうか。神戸-姫路間が都市型になっているのに対し、岡山-下関は地方路線化しているような感じでした。
 モハ116
これで東広島市の中心、西条まで行きました。
 
途中の瀬野駅ではスカイレールを望むことができました。
  スカイレール(広島短距離交通瀬野線)
モノレールとロープウェイとを組み合わせたユニークな交通機関です。
 
用事を済ませた後は東広島駅へ出て、こだまのぞみの乗り継ぎで帰宅しました。
 
9月22日
東広島(2006)---[新幹線こだま762]---(2104)岡山(2114)---[新幹線のぞみ96]---(2250)名古屋
 
全くの偶然でしたが、この日のこだまは、「懐かしの」500系でした。
  500系新幹線:全車禁煙はありがたい。
入線、そして停車
 
これが東海道新幹線にも使われている頃は、500系が来ると「外れ」と思ったのですが、ゲンキンなもので、引退後は「懐かしい車両」になってしまいます。
ふと見上げると、この日は中秋の名月。車両越しに満月が薄い雲の間を縫ってこちらに目を向けてくれていました。
 
この時刻、まだ雨は降っていませんでした。
 
当然自由席に乗りましたが、、中はこの通り。そりゃ、平日の夜ですからそう多くないのはわかりますが・・・
JRさんも大変ですね。

  ガラ~ンとした出発直前の車内
 
乗り換えの岡山駅では強い雨が降っていました。在来線にはダイヤの乱れが出ていたようです。
  貫録の500系。雨に濡れたプラットフォーム。
 
下りの線路には100系新幹線が停車していました。
  100系新幹線@岡山駅
 
ここで名古屋終着ののぞみに乗り換えました。今となっては何の変哲もないN700系で、結構混んでいましたが、新大阪からは3人掛け席に1人だけ座っていました。
 
とりあえず帰宅した私はネットを開き、今朝3時キックオフのブンデスリーガ、SCフライブルクvsシャルケ04のライブ中継の準備をし、仮眠しました。ZZZ・・・
 
2時45分に起き、ネットにかじりつき、ドイツで変化をとげつつある矢野貴章の活躍を見守ったのです。

なごやんの続・鉄道日記(3) 福北ゆたか線

久しぶりに続・鉄道日記です。
今日は第3回。 
と言っても、あまり内容はありませんが・・・
 
先日、福岡出張の帰り、博多駅でブラブラしてきました。
新幹線に乗る前に在来線ホーム巡りをしただけのことですが、JR九州はいろいろな車種を使っていて楽しめます。
かもめ、有明などはまた別の機会に譲り、続・鉄道日記第3回は鉄道日記第4回のまさに続編です。
 
福岡県でも特に北九州と福岡を最短距離ではなく、最長距離とも思える経路でつないでいる路線があります。福北ゆたか線で、北九州市の黒崎駅と福岡市の博多駅を結ぶのですが、黒崎から折尾までは鹿児島本線です。折尾から筑豊本線に入り桂川からは篠栗線へ入って吉塚までがこの線で、そこから一駅、博多まではまた鹿児島本線です。
福北ゆたか線には気動車、電車が走っていますが、単線区間が多いため、スピードアップと列車増発は困難です。一部の車両はワンマンです。
787系の特急「かいおう」が直方-博多間に朝夕2往復出ています。
  鹿児島本線 筑豊本線 篠栗線
 3線連結の福北ゆたか線
 
  ワンマン仕様の817系
 
博多駅にはこんな機関車もありました。
  博多駅停車中のジーゼル機関車DE10
ディー・イー・テンと言ったら、「専門用語で デー・イー・トー と呼ぶんです」と、元国鉄マンの職員が教えてくれました。
衣浦臨海鉄道のKE65の兄弟分みたいなものですね。

ホーム G大阪戦

 
新潟 1-2 G大阪
 
いつものようにスカパー難民の私はネットしか情報源はなかった。BSNラジオも中継しないし。
J’sGOALニッカン等々。
で、ナニ、マルシオ欠場 !?
 
前半、両チーム結構シュート数は多い。
ボールポゼションは新潟が上。
なんか走らせられているんじゃないだろうな。
 
さあ、後半だ。
とととっ・・・ヨンチョルだ!!!!!
し、しかし・・・モウ!(怒) たった5分で。 いつかみた夢、怖い夢。
 
19分、亜土夢だ。さあ、そろそろみせろよ。元チョウシコキ。
 
うっ、あっちはイ・グノが入ったぞ。注意、注意。
ドドも入った。要注意人物2名だ。
 
ミカド、またゴール頼むよ。
 
さあ、最後の交代は川又だ。
 
うひゃっ、ドドだ。
 
ロスタイム、どのくらいだろう?
 
くーっ、逆転負けだ。キツイなぁ。
 
応援の皆さん、お疲れさまでした。

クラブチームとナショナルチーム

 
貴章がドイツのSCフライブルクへ移籍したことで、ブンデスリーガのサイトを覗くことが多くなった。
すると面白いことに気が付いた。
 
SCフライブルクのウェブサイトではシセ(セネガル)やプツィロ(ベラルーシ)がアフリカネーションズカップ予選やユーロ予選で母国の代表選手になり、それぞれのチームで活躍していることが掲載されているのだ。
直近ではそれらの国際試合を終え、みんな怪我もなくチーム復帰したことも。
 
その目でブンデスリーガの他クラブを見てみた。
バイエルン・ミュンヘンでは自クラブのシュヴァインシュタイガークローゼのゴールをお膳立てしたことや、その対戦チームであるベルギーには自クラブのヴァンバイテンがいて、PA内でそのシュヴァインシュタイガーと対峙したことなども書かれている。(サイト上の記述はもっと直接的、具体的)
 
そうか、ヨーロッパのクラブには世界各国からその国の代表選手が集まってきてるからなぁ、などと思いつつイタリア、セリエA、カターニャのサイトを見ると、ナント一番上の写真はニッカンからの転載で森本の写真。記事は「野人(なごやんによる気の利いた意訳)モリモト、ナショナルチームで2得点」と、先日のグアテマラ戦のニュースだ。試合内容もかなり詳細に書かれている。(もちろん、イタリア人ザッケローにのことも。^ ^)
 
そして、もっとあちこち捜してみると、このテの記事はヨーロッパのクラブ一般に見られることがわかった。
 
要するに、「ほら、ウチのクラブの選手達、その国の代表としてこんなに活躍しているよ。」と言っているのだ。
自クラブから母国の代表選手が出るのはクラブにとって誇りなのだ。クラブにとっての誇りは同時にサポーターにとっての誇りでもあろう。
また、クラブとしてみれば「ウチのスカウトはこんな素晴らしい選手を見つけてきたんだぞ。」とも言っているようだ。
 
翻って日本のクラブを見てみよう。
 
永田充がグアテマラ戦後半から出場、安定した守備を見せる」とアルビは伝えたか?
8月11日の韓国代表vsナイジェリア代表の試合でチョ・ヨンチョルがフル出場し、勝利に貢献したことをアルビは伝えたか?
ワールドカップ南アフリカ大会におけるチョン・テセの「涙の国歌斉唱」を彼が当時所属していた川崎フロンターレは伝えたか?
ワールドカップ南アフリカ大会でオーストラリア代表のケネディがセルビア戦にフル出場し、勝利に貢献したことを名古屋グランパスは伝えたか?
 
習慣の違い、文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、私はアルビレックス新潟のサポーターとして、永田充が日本代表に選出され、出場し、活躍するのはもちろん嬉しいし、誇りに思える。と同時にチョ・ヨンチョルが韓国代表選手として世界を相手にする姿も嬉しい。
私自身が偉いわけでも努力したわけでもないし、私自身が彼らのために特別なことをした覚えもないのにだ。サポーターとはそんなものだ。
 
日本ではナショナルチームの強化のためJリーグが作られた。従って、一般的にはクラブチーム<ナショナルチームだ。
一方、ヨーロッパでは クラブチーム>>>>>>ナショナルチーム と聞いている。
 
それは本当なのだと、改めて感じた。
 
もしかすると、こんなことはサッカー通の間では当たり前でよく知られたことかもしれない。
しかし私にとっては新しい発見であった。
 
この気持ちは(他のクラブは放っておいても)アルビレックス新潟には是非伝えたい。

天皇杯 金沢戦

新潟 3-0 金沢
 
続・鉄道日記のネタ捜しのため 仕事のため出張中で、天皇杯2回戦の様子をまともに知ることができなかった。ネット環境になく、わずかに携帯で結果を知るだけだった。
マルシオの2得点はフツーに納得しよう。
大輔のゴールは素直に喜ぼう。
もうチョット得点してほしかったなぁ。・・・特に前半に。
 
まあ、勝ったたのはよしとしよう、というか当然だ。あっ、J1で敗退したチームもあったんですね。^ ^
J2のヴェルディがゼルビアに敗れたのは愉快愉快だけど。
 
てなことで、応援の皆さん、お疲れさまでした。
 
一方、レディース負けちゃったんだ。しかも完封負け。orz
 
この応援のサポーターは超疲れちゃいましたね。
 
さて、次は3回戦と・・・ん、町田ゼルビア戦じゃないか。世の中の大勢は「ゼルビア頑張れ!」だろうな。

ふと思ったこと

いつも日本代表選手のいるチーム
 
そんなチームになりつつあるアルビレックス新潟だ。
 
老舗チームなら日常かもしれないが・・・
 
今、ユース世代、トップチーム、さらになでしこと次々に代表選手が生まれるようになった新潟のサポーターでいるのが素直にうれしい。
 
それだけ。
 
さて、今日から月曜日まで出張でしばらくネットともお別れかな。