Monthly Archives: 1月 2010

掃除

今日の日中は自由な時間が比較的多かったので久しぶりに部屋の掃除をした。
大掃除ではないので気楽なものだが、私のクリーナーはゴミゴミしたことろへ来ると「ハウスダスト発見」というランプが赤く点灯する。
クリーナーで吸い取るたび、吸い取るたびに赤くなる。全てのところで・・・だ。
ハウスダスト発見!
 
そうか、こんなゴミの中で生活していたのかと思いつつきれいにしていって、ハタと振り返ると毛髪がパラッと落ちていた。ん、さっきクリーナーをかけたはずなのに・・・
この部屋には私しかいない。すると・・・   
悲しくなった。貴重な1本。仕方ないけど。  

なごやんの鉄道日記(29)

鉄道日記第29回は私の故郷、新潟が舞台です。なにしろ、 ですから。
張り切って、鉄道日記から私のゴールデン・エイジへ乗り込みます。鉄道日記だか昆虫日記だかわからないのは悪しからず。
 
 
赤谷線があった頃の日本地図 羽越本線、米坂線、白新線、赤谷線
 
【羽越本線】
新津(新潟市)と秋田を結ぶ幹線です。この路線が開業したのは1912年のことで、新津-新発田間、信越本線の延長ということででした。その後北へ延びていっています。
日本海側を走るこの線の列車から望む日本海に沈む夕日本当に、本当に、本当に美しく、世界のどこででも自慢できます。
幼少時、この線で鼠ヶ関(山形県の新潟県境)へ海水浴に行くと、「新潟県から出た」と、ある種の優越感にかられました。
 
 
「羽越」という中距離急行が運行されたこともあります。新潟から白新線経由で酒田まで行っていました。
  
今や伝説の急行です。記録もあまりないようです。(JR東日本新潟支社のどこかには詳録があるでしょうけど。)羽越豪雨の年、復旧を祝うかのように運転されました。(1960年代半ば、新潟県下越地方は地震、豪雨等相次ぐ災害に見舞われました。加治川堤防の決壊は張り過ぎた桜の根が一因とされ、伐採の憂き目に会いました。)
 
こんな列車もありました。急行です。
  青森から秋田まで「あけぼの」(後に「きたかみ」)と一緒に走り、秋田から「しらゆき」単独で白新線経由で金沢まで行っていました。「あけぼの」、「きたかみ」は秋田から奥羽本線で仙台へ行っていました。
 
米どころをつなぐ特急「いなほ」。愛称は今も残っていますが、できた時は秋田-上野間で、キハ80系でした。1972年に電化され、485系電車で運転されました。ブルトレではなく、昼間列車で、日本海側を通り、上越本線経由で東京へ行ったのです。
  特急いなほの特急券 一般的にはメインルートである東北本線や奥羽本線を使わないのが私らしいところです。
 
【米坂線】
その名のごとく、米沢(山形県)と坂町(新潟県)を結ぶ路線です。
小さいころ、夏休みに家族でこの線を通って鷹巣温泉へ行ったことがあります。  川にかかる木製のつり橋を渡るのは幼少の私にとっては恐怖でした。今はもっと立派な橋になっているのでしょうけど。
 
【白新線】
白山(新潟市)と新発田を直接つなぐ路線として建設され、路線名もその2駅に由来しますが、結局、新潟-新発田間を白新線と呼ぶことになりました。(いきさつはやや複雑ですので、ここでは割愛します。)
新発田以北の羽越本線沿い、あるいはその近辺にある市町村から県都新潟へ行くためには新発田から新津を経由しなければならなかったのですが、新発田-新潟直行の白新線はそういった地域の人たちにとって、行動範囲を大きく広げました。
今では日本海縦貫のメインルートになっています。
   新潟博なんてのもありました。国鉄館というのが私たるところ。^ ^
 
【赤谷線】& 昆虫
赤谷線は鉄鉱石を産出した赤谷新発田を結ぶ鉄道路線として大正時代から運行され、1941年には赤谷からもう少し奧に入った東赤谷駅ができました。赤谷まで来ると飯豊の麓という感じを強くします。
  飯盒片手にテントを出れば 加治のせせらぎ我らを招く
私は少年時代、毎年夏に赤谷へキャンプに行きましたが、その時使った鉄道が赤谷線です。私はそれ以外に、春、赤谷線で米倉へ行き、そこから五十公野まで歩きながら昆虫採集をしました。(赤谷線の切符が1枚も残っていません。私としたことが、不覚でした。)
途中の杉林の中に入って樹皮を剥ぐと、スギカミキリが潜んでいました。平べったく、見ためはゴキブリのようですが、れっきとしたカミキリです。
  ゴキブリぽい格好のスギカミキリ(米倉産)
 
五十公野には現在、グリーンスタジアムしばたがあり、アルビレディースの本拠地となっていますが、そばの枡潟にはたくさんのトンボが飛んでいて、今では絶滅寸前のアオヤンマも捕ることができました。個体数は多くないものの、低山地性ゼフィルス(ミドリシジミ類)の一種であるウラナミアカシジミも棲んでいました。
今、彼らはどうしているのでしょうか?
   長い年月の間に羽が傷みました。
 オニヤンマより美しいアオヤンマと少々傷んだウラナミアカシジミ(五十公野産) 
 未熟な標本作りを露呈しています。
 
赤谷線はその後新江口新山口東中学校前といった駅や降車場を増設しながら発展していましたが、1980年に入って廃線が決まり、段階的に縮小され、1984年に全線が廃止されました。
今は路線バスが通っています。
 
【そして新発田】 (鉄道日記に便乗)
羽越本線が最初に開業したのは新津-新発田間(上述)だったことはだんだん忘れ去られつつありますが、羽越本線白新線、そして赤谷線の中心になるのが上の地図を見てもおわかりのように下越随一の商工都、新発田です。新発田は溝口藩6万石(後に5万石)の城下町として栄え、今では人口約10万人を擁する下越の要です。北方文化博物館を備える清水園は観光地としても名高く、国指定名勝になっています。
 
 
少年時代、私はよく新発田市内の山林へ昆虫採集に行きました。天気さえよければ毎週日曜日には必ず昆虫採集でした。学校の宿題と予習は土曜日帰宅後、さっさと済ませていました。春はギフチョウウスバシロチョウといったチョウはもちろん、各種ピドニア(ハナカミキリ類)などのカミキリもたくさん住んでいました。越冬後のタテハチョウ類もいました。夏になるとアゲハチョウの仲間が大型化します。タテハが忙しそうに飛び回ります。この頃はまだカメムシにはそれほど興味がなく、チョウとカミキリが主な採集対象でした。特に、比較的個体数の少ないチャイロホソヒラタカミキリを狙った思い出は鮮明です。モンシロチョウの仲間(シロチョウ科)のツマキチョウもたくさんいました。飛び方が特徴的で遠くからでも弁別できました。
  左:チャイロホソヒラタカミキリ(上2頭)とその変種、クビアカルリヒラタカミキリ(下2頭);右:日本中高山以外どこにでもいるが、発生期間が春浅い2~3週間なので、見落とされていることの多いツマキチョウ(いずれも三光産)
 
考えてみれば私の周囲には大人から子供までムシ好きがたくさんいました。
友達数人とチャリを飛ばし、タラの木のトゲトゲで傷を作り、沢へ足をつっこみズボンを濡らしながら、春から秋までムシ、ムシ、ムシだったような気がします。
そうそう、春、ギフチョウが出る頃、山で笹の葉を採ってくると、母親がちまきを作ってくれました。新潟の△三角ちまきです。どの家庭でも作っていました。
ファーブル昆虫記に感動した私は日本のファーブルになろうと本気で思ったこともあります。しかし、植物をあまりにも知らな過ぎましたし、何よりもムシを飯のタネにする自信がありませんでした。昆虫は趣味だから楽しいのであり、仕事となったら苦しいことばかりだろうなと思い、諦めました。(なんちゅうヘタレだーっ。)
 
さて、次回はどうやら大阪のようです。最近あまり行かなくなってきましたが・・・
 
昆虫採集は時として自然破壊として批判の対象になりますが、これまで普通の採集の影響を受け絶滅した昆虫は知られていませんし、多くの昆虫愛好者は自然をとても大切にしています。昆虫が激減している原因の多くは「開発」であったり、台風、洪水等の自然(一部人為的)災害でであったりします。

日本の首都、東京

昨日は珍しく平日の東京出張だった。

仕事の目的地は三鷹で、東京から中央本線快速に乗った。(フツーのコース)
  
 
三鷹駅から街を見下ろすとFC東京のフラッグが掲げられていた。そうか、この辺もFC東京の縄張りなのか。
  
 
平日の東京出張は基本的に日帰りだったのだが、今回は金曜日で、仕事も遅く終わったため一泊することとした。宿泊施設へは表参道から行くのだが、とりあえずは渋谷で降りた。例によって大型CDショップや靴屋に寄ったがが、お目当てのものは見つからなかった。(N社のオレンジスニーカー、ないなぁ。)
せっかく渋谷へ来たのだからセンター街をぶらついた。すると、こんなものを見つけた。「渋谷センター街はbjリーグを応援しています。」だってさ。嬉しいね。
 
 
この日は東京へ着いた頃からお腹の調子が悪く、最初は何か変なものでも食べたかと思ったりもしたが、フッと気付くと来週は第4週目だ。私は毎月第4週の日曜日に体調を崩すのだが、今月は2日早くその日が来てしまった。私自身は全く気にしていなかったが体が反応してしまうのだ。通常は28日型なのだが・・・^ ^
何しろ、目的地へ着くまでに2回もトイレを利用していたのだから、渋谷なんぞブラブラせずに早いところ宿に行って寝てしまえばいいのだが、あまり来ることのないキャピタルなので、食中毒になりながら絶飲食のまま登校し、体育の授業にも出た高校時代を思い出し頑張った。(「年を考えろ!」ってオチは無しってことで・・・)
私の泊まる宿ではフロントのカウンターに置いてあるパソコンが自由に使えるので(ただし、椅子はないので立ちっぱなし)、チェックイン後JFAのサイトを覗き、チリで頑張るアルビレディース3人娘(川村優理、上尾野辺めぐみ、菅澤優衣香)の活躍を確認し、サポリンに日記を書き、夕食はちょっとつまんだ程度で(昼食抜き)コテコテに寝た。
 
今日(1月23日)になると体調はほぼ回復していた。となれば、もう一度都会にチャレンジとばかり、新宿へ行った。新宿は西口へ出ることが多いのだが、今日はそうではない口(南だか東だかよくわからない)へ出た。地下鉄からエスカレーターを乗り継いで地上に出たと思ったら、地上には違いないが、1階だか2階だかわらないことになっていた。
ビュンビュン(ではなく比較的ゆっくり)走る車を背景にライブ演奏をしている若者がいる一方、下を見下ろすこともでき、そこはそこで車が走っている。ようわからん。
 
 
新宿駅に接するビルにある大型CDショップへ行った。大きい。しかし以前と比べる何か違っていた。CDのジャケットをこちらに向けた陳列が結構多数を占め(従って、場所をとり、陳列点数は減って)いた。
まあ、いろいろなサイトからダウンロードできるからなぁ。
そうは言っても、さすがは東京。探していた物があった。見たかったDVDは見つからなかった。CDを3枚買った。
帰る途中、こんな人形を見つけた。有名なのだろうが、私は知らない。「撮影の際は、他のお客さんの通行の妨げにならないようご注意ください。」と書いてあるので、撮影可能と解釈し、写真を撮った。
 
 
早い夕方まで東京にいて、N700系新幹線で帰った。体調は完全に回復していた。静岡から愛知に入る頃には日も落ちてきた。
 
 
さて、今から宿題でもするか。

なごやんの鉄道日記(28)

なごやんの鉄道日記第28回は前回の九州からひとっ飛び、北海道の  です。この路線は第19回からの続きです。
この沿線にはまだまだ沢山の廃線になった鉄道路線がある。
【釧網本線】【湧網線】
7月22日
釧路(0637)---(0820)弟子屈(0915)—-<阿寒バス>—-摩周湖・硫黄山—<阿寒バス>—屈斜路湖・美幌峠—<阿寒バス>—(1354)美幌(1357)--[急行大雪2号]--(1423)網走(1550)---(1631)能取(泊)
 
札幌から夜行で釧路まで来た私たちは7分の乗り換え時間で釧網本線の普通列車に乗り弟子屈へ来ました。弟子屈駅には弟子屈出身の大相撲元横綱、大鵬の写真が掲げてありました。弟子屈駅からはバスで摩周湖硫黄山を巡り屈斜路湖の和琴半島へ来ました。和琴ではヒグマの子供達と戯れることができました。そこからバスは高台へ行きます。美幌峠です。オホーツクを見渡すことはできませんでしたが、そこからの光景は広々と見事でした。
    
 
美幌峠から美幌駅へ行き、そこからは再び釧網本線で網走へ着きました。網走で私たちは泊まる場所を相談しました。貧乏学生がホテルってわけにもいきませんので、湧網線(廃線)で能取へ行き、そこのキャンプ場でテントを張ろうということになりました。
   能取:ノトロ ですよ。
 
今はバス路線になってしまった湧網線はまさにローカル線でした。ところが、これが旅の面白いところ。車内である男性と話が合ってしまったのです。能取で郵便配達をやっているという中年の男性は、是非、自分の家へ来て泊まりなさいというのです。おおお、なんと奇特なお方か!
私たちは遠慮無く彼の家へ行きました。保健婦(当時)をやっている奥さんの手料理を心ゆくまで堪能しました。私は列車でもテントでもよく眠れるのですが、畳の上にはかないません。
 
【湧網線】【石北本線】
7月23日
能取(0946)---(1023)網走(1045)—<網走バス>—(1114)原生花園(1141)—<網走バス>—(1210)網走(1235)--[急行大雪3号]--(1427)遠軽(泊)
 
次の日、私たちは私たちを拾ってくれてたご夫婦に感謝しつつおいとまごいをし、また網走へ戻り、そこから有名な原生花園へ行きました。ただ、この時期はほとんどの花が盛りを過ぎていて、ハマナスとあといくつかが残っているだけでした。
バスでまた網走へ戻った私たちは石北本線で遠軽へ行きました。遠軽には私たちの共通の友人がいました。彼女は私たちと同じ下宿に住んでいたのですが短大へ行っていたため私たちより早く卒業し、故郷で職に就いていたのです。私たちは遠軽の街や公園をブラブラし、その晩は彼女の家で泊まりました。夕食はもちろん私の好物 ジンギスカン!!! 彼女の兄貴も加わり、ワイワイガヤガヤ・・・やがてコテッ ZZZ・・・でした。
   
 
【石北本線】
7月24日
遠軽(0930)—<北見バス>—(1050)留辺蘂(1055)—<北見バス>—(1120)温根湯(1215)—<北見バス>—大函・小函—(1420)層雲峡(1510)—<道北バス>—(1550)上川(1600)--[急行 大雪3号]--(1821)岩見沢--以下第37回へ
 
次の日はほぼバスの連続で留辺蘂(るべしべ)から層雲峡へ行きました。層雲峡は丁度峡谷火まつりのまっただ中で、その祭りも堪能しました。層雲峡からは上川へ行き、そこから、石北本線の急行、大雪岩見沢へ行きました。岩見沢着は夕方でした。
 
 
岩見沢からは同行した友人の家のある古山へ向かいました。
この旅の続きは第37回、室蘭本線等です。

名古屋散策

家にいてもやらなければいけないことは沢山あるのだが、寒いとはいえ、晴天の名古屋でじっと机に向かっているのは苦痛だ。
まあ、近くでアルビの試合があれば、原則として現地参戦するのだから、シーズンオフでも同じように外へ出ればいいじゃないか。仕事は職場で・・・とか勝手な言い訳をつくり、ここ何回か近くをブラブラしてみた。(画像は是非クリック拡大を)
 
まずは私らしく、南部へは電車で。
名古屋駅から第三セクターの「あおなみ線」というワンマン電車が運転されている。行き先は名古屋港を対面に見る「金城ふ頭」。そこには名古屋のフットサルクラブ、名古屋オーシャンズのホーム、オーシャンアリーナがある。
  
 新幹線を横目に南下する「あおなみ線」             大洋薬品オーシャンアリーナ
 
東、北東へも公共交通機関で行けるのだが、1月11日(月・祝)には知人とドライブとしゃれこんだ。
名古屋の隣、長久手へ行き、まずは昼食。この日はスパゲティだった。全国に数店あるアメリカ系のチェーン店。愛知県にはここだけのようだ。
 
きしめんのようなスパにロブスター、クリームソース。ピッツァとコーヒーはおかわり自由・・・って、そう食べられるわけではないけど。
 
名古屋万博の跡地へ行った。今や公共交通機関の「リニモ」を利用する人は極めて少なく、大赤字で県から多額の資金が投入されている。公園にもこれといったものが残っているわけではなく、観覧車が1台寂しそうに回っていた。この観覧車目当てに訪れる人はカップル、家族等、そこそこみられる。
その後、市内へ戻り、東部にある平和公園へ行った。東山動物園のコアラのためにユーカリが植えられていた。
  
 万博跡の観覧車       ユウカリ林 コアラは住んでいなかった。
 
1月16日(土)、17日(日)も寒かったが天気はよかったので、2日続けて近くの公園をブラブラしたり、街へ出て買い物をしたりした。
  名古屋の道路の一部では土日祝に一車線のみ駐車が許可される。
  
 名城公園をブラブラすると桜が咲いていた。冬に咲く「フユザクラ」だ。
 
栄は地下街を歩くことが多いが、昨日、今日は地上を闊歩した。カップルが目立つのはどこの街でも同じようなことか。
栄のど真ん中に観覧車があった。また、半地下のオアシス21には2月中旬までスケートリンクが設けられていた。さすがスケート王国愛知だ。
   
栄の観覧車(ビルを見るの?)  小さいながらもれっきとしたスケートリンク。大人¥1,000
 
その名古屋で、ミキティ、真央ちゃんに続く冬季オリンピック日本代表、鈴木明子のお祝いパネルを見かけた。
  苦境から立ち上がった遅咲き明子。頑張ってほしい。
 
昨日の昼食は「けんちんうどん定食」¥780(カルチャーセンターの会員割引 5% ¥741)
  これだけ食べても太れない私は・・・
 
今日は市内の美術館へ行った。「ベルギー近代絵画のあゆみ」で、甲府鳥取東京の後、名古屋が最後の巡回地だ。当日¥1,000。金券ショップでは前売り券が売り切れだったため、ネットで得た割引券で200円引き。まあ、いいでしょう。69点の出展であったが、バルビゾン派、レアリズム、新印象派など多彩で疲れた。
  ボナールの「逆光の中の裸婦」は本邦初公開だった。
 
そうして、今日も夜が更けた。
  ライトアップされた名古屋城を望む。

なごやんの鉄道日記(27)

サッカーの試合がないと、ついつい旅日記になってしまいます。
 
今回はまた九州へ戻りました。第27回は  です。
 
この旅は宮崎からなのですが、そこまでの話は第36回に書きます。ですから、まずは現在南阿蘇鉄道が運営する旧国鉄の高森線から始めます。
 
【高森線】 
8月6日
宮崎(0745)--[急行 フェニックス]--(0904)延岡(0914)=<宮崎交通>=(1052)高千穂(1410)=<宮崎交通>=(1600)高森(1600)--(1635)立野(泊)
 
旅行も終盤に近づいた17日目の8月6日、出発点は宮崎でした。宮崎から日豊本線を急行フェニックスで延岡へ行き、そこからがこの日の旅の始まりです。目的地は日本の故郷、高千穂峡でした。
バス停から歩くこと約20分、峡谷へ着きました。宮崎のことなので決して涼しくはありませんでしたが、宮崎や延岡と比べれば格段に気温が低く、疲れがほぐされました。
高千穂からは再びバスに乗り、高森へ行きました。そこからは高森線に乗り、終点の立野で降りてそこの小学校へ行きました。残念ながらその学校では当直室には入れてもらえませんでしたが、校庭を使わせてくれたのでそこにテントを張り、爆睡しました。
   うっそうとした高千穂峡
 
【豊肥本線】
8月7日
立野(0841)--(0913)阿蘇++<ロープウェー>++阿蘇山頂++<ロープウェー>++宮地(1314)--[急行 九重]--(1355)豊後竹田(1608)--(1642)三重町(1645)--[国鉄バス]--(1734)野津(泊)
 
次の日、立野からは豊肥本線です。普通列車で阿蘇へ行った私たちはロープウェーで阿蘇「登山」です。ここで素晴らしかったのは(くさ)千里浜でした。得に馬の放牧は見事でした。山頂は霧がかかっていましたが、火口を覗く時には晴れてきました。
ロープウェーで今度は宮地へ下り、そこからは豊肥本線を急行九重(くじゅう)で東へ向かい、豊後竹田へきました。竹田城は荒城の月で有名なところです。ここからはまた列車で三重町へ行き、そこからバスで野津へ行きました。野津は童話(?)吉四六(きっちょむ)でよく知られ、野津小学校には吉四六の記念碑がありました。その晩は、そこで泊めてもらいました。
   豊肥本線の両端にある放送局の受信証
   熊本放送                    大分放送
 
  別に足で登ったわけではないのですが、ロープウェーでも登山は登山でしょう。
 
8月8日
野津南(0840)=<大分バス>=(0849)風連洞(1022)=<大分バス>=(1106)臼杵石仏(1210)--[国鉄バス]--(1230)臼杵(1326)--[急行 青島]--(1424)別府(1540)--(1649)中津(泊)
 
旅行19日目、バスを乗り継ぎ、風連鍾乳洞、臼杵石仏を巡って臼杵駅からは日豊本線で中津へ行き、中央公民館を訪ねました。その公民館では学習室を使わせてくれました。リュックから寝具を取り出し、その部屋で泊まりました。
 
 
【久大本線】
8月9日
中津(071)==<大分交通>==(0812)洞門—青の洞門=<大分交通>=本耶馬渓—羅漢寺—本耶馬渓=<大分交通>=豊後森(1228)--[急行 ゆのか]--(1342)久留米(1401)--[鹿児島本線]--(1452)博多・・・旅はもう少し続きます。
 
現在のこの線は「ゆふいんの森」が走っていることでよく知られています。
8月6、7、8日、それぞれ学校、学校、公民館に泊まり宿泊費を節約した私達は中津を大分交通のバスで出ると青の洞門本耶馬溪羅漢寺といったところを経由し、豊後森から久大本線の急行、ゆのかに乗って久留米経由で午後、博多に着きました。
ここで一緒に行った友人と別行動をとることになり、友人は熊本方面へ、私は北九州へ向かいました。一人になった私は、その後、ひたすら「乗り鉄」になたのです。
なにしろ、この九州周遊券、九州内は全線乗り放題で急行も自由席ならそのまま乗れます。ここからの宿泊は一泊を除き、すべて車種を替えながらの車内でした。
その話はまた機会があれば・・・

青春18きっぷ最後の1回は

今販売されている青春18きっぷは1月20日まで使用可能であるが、あと1回分残っていた。最初の1回は12月12日(土)、天皇杯でアウスタへ行く時に使った。3連休の初日でもある昨日9日(土)は比較的天気もよく、ぶらっと外出してみた。
近場で気軽に行けるのはなんだかんだ言っても京都だ。名古屋から在来線で約2時間。新聞を読んだりパズルをやったりしている間に京都に着いてしまった。
京都ではいつものようjに美術館、博物館を午前、午後に分けて2か所行ったが、比較的軽い催しものだったため、16時前には帰宅可能になった。
 
このまま直帰はもったいないということで、帰りは米原で乗り換えず、そのまま北陸本線に入って長浜へ行った。
この辺になると「北陸」的になり、結構な雪があった。駅近くにある豊国神社で十日戎の前(宵ゑびす)の餅つきをやっていた。
  
 
長浜駅から西を望むと、夕闇に浮かぶ長浜城が幻想的だった。東には冠雪の伊吹山がそびえていた。
 
 
帰りの電車の中で見た携帯でマルシオの残留を知った。

なごやんの鉄道日記(26)

鉄道日記後半、そして新年の第1回は  です。
私の出張先としては東京が一番多いのですが、今回の路線を使うことは殆どありません。
成田EXPRESSも1996年に成田へ家族を見送りに行った時に使ったきりです。
千葉からJ1クラブが消えた今季、千葉へ行くチャンスはタブンないでしょうし。^ ^
 
とは言え、東京と千葉~茨城南部を結ぶ路線としては重要な位置を占めています。
 
以前存在した東京ミニ周遊券の使用範囲にもこれらの路線の一部が入っていました。
  総武本線、成田線
 
【総武本線】
東京駅と千葉県銚子市の銚子駅をつないでいますが、都内で一部支線があります。御茶ノ水錦糸町間です。私は御茶ノ水から秋葉原へ行く時などに使います。この他、貨物用の支線があります。
   赤い部分が総武本線区間
 
【成田線】
この線はチト複雑です。
佐倉松岸(本線)
我孫子成田
成田成田空港
の3線からなっているのです。
まあ、運用に当たってはどれがどの線なんて関係ないですけどね。
ここの特徴はなんといってもアジアのハブ空港を目指す(苦笑、嘲笑、爆笑~失礼)成田国際空港と東京をつなぐ幹線だということです。
成田エクスプレスのデザインはなかなかしゃれていますね。
 
【鹿島線】
香取鹿島サッカースタジアムを結ぶ路線ですが、パスポートの有効期限が切れている私は鹿島国に入国できません。 (このオチ、Jサポ、Jファンじゃないとわからないかも。~これもすいません。)
 
【東金線】
千葉県内の大網成東の間をチョコット走っている路線です。私は使ったことがありません。
 
きょうはチョット首都圏を揶揄しちゃいました。===まあ、いつものことですけど。

賀正

あけましておめでとうございます
2010
ALBIREXALBIREXALBIREXALBIREXALBIREXALBIREXALBIREXALBIREXALBIREXALBIREXALBIREXALBIREX
 
今年もサポーター一丸となり、アルビレックス新潟を応援しましょう!