なごやんの鉄道日記(09)

  第9回の鉄道日記は大糸線飯山線篠ノ井線越後線弥彦線です。
このうち越後線と弥彦線は新潟県の中にスッポリ収まります。
 
【大糸線】
私は中央本線(中央西線)で松本まではたまに行くのですが、松本糸魚川を結ぶ大糸線を使うことは稀です。
この鉄道が敷かれた時、松本と信濃大町の間は民営、信濃大町と糸魚川の間は国営であったため、国の部分の大町糸魚川の最初の文字を取って大糸線という名称になりました。
私の直近でのこの鉄道線利用は一昨年の8月のことで、安曇野散策が目的でした。もちろん青春18きっぷでののんびり日帰り旅行でした。
松本で大糸線に乗り換え穂高で降り、バスには乗らず碌山(美術)館大王わさび農場など、まあ、月並みな観光地巡りでしたが、暑い名古屋をほんの一瞬離れることができた小さな幸せでした。
  
 蔦の絡まる碌山館  大王農園の水車
 
【飯山線】
豊能越後川口を結ぶこの路線を私が利用するのはもっぱらスキー旅行ででした。「でした」と言うのは、最近では使う機会がないからです。
飯山から長野電鉄とバスを乗り継いで野沢温泉へ行き、いつも同じ民宿に泊まりました。
私たち一行は民宿で手伝いも率先してやっていましたし、部屋の使い方もていねいだったので、客としては結構気に入られていたようです。
スキー場の民宿って今でもあるんですかね?
 
長野までは寝台急行(きそ)を使うこともあったことは前に書いた通りです。
野沢温泉スキー場で最初にシュナイダーコースを滑った時にはコースの半分を転げ落ちていました。あのコブコブをどうしても乗り越えられませんでした。
 
【篠ノ井線】
篠ノ井(長野市)と塩尻を結ぶこの路線は、東京から、あるいは名古屋から中央本線で松本以北へ行こうとする時に通過する路線です。
その昔、新潟と名古屋を直結する急行赤倉という列車がありました。
この列車の歴史は「格下げの歴史」でした。
まず、1962年、新潟と名古屋の間を信越本線篠ノ井線中央本線経由で結ぶ気動車「急行赤倉」が誕生しました。この列車はダイヤも大きく変化することなく20年続きましたが、1982年に電車になりました。しかし、この電車は長くは続かず、1985年には新潟-名古屋の直通はなくなり、赤倉は名古屋発妙高高原行の臨時急行になりました。
さらに1990年代始めには越後線の快速の名称として使われ、1997年にはその名前もなくなりました。
私が生まれて初めて名古屋へ来た時に乗った列車が赤倉でした。
 
私の手元に篠ノ井からの急行券があります。これは小海線経由で臼田へ行き、帰りに小諸へ寄り、そこから信越本線、篠ノ井線、中央本線経由で帰ってきた時に使ったものです。当時は今のしなの鉄道、篠ノ井軽井沢間は信越本線そのものでした。
  無効印を押されるのは本意ではありませんが、無傷ではいただけませんでした。
 
【越後線】【弥彦線】
私は残念ながら、これら両路線を使ったことがありません。
ただ、正確に言うと、この線を使ったかどうか定かではありません。
小さい頃、父と弥彦山へ行ったことがあるからです。
もちろん、家に自家用車などありませんでしたから、新潟から越後線-弥彦線経由かなぁと思ったりもします。
 
越後線柏崎新潟間の路線、弥彦線弥彦東三条を結んでいます。新潟から直接弥彦線に入る列車はないのかと探してみましたが、弥彦発新潟行は1日1本あるものの、新潟発弥彦行きはないようです。
この近辺は車の方が便利なんだろうなと思ったりもします。
広告
Post a comment or leave a trackback: Trackback URL.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。