なごやんの鉄道日記(02)

さあ、また日本昔話の始まりだよ。今日は第2回。
 
昨日発売の鉄道全路線図、今回は肥薩線、吉都線、三角線でした。 
 
 
九州と聞いて学生時代を思い出しました。
 
大学2年の夏休み、友人と2人で九州一周旅行を試みたのです。
 
当時、奨学金+家庭教師で学生生活を送っていた私ですが、この旅行のため、「高額バイト」に挑戦しました。
山の観光道路にかかる橋建設の測量、児童館建築のセメント運びとセメントこね(コンクリートミキサー車は地方都市では普及していなかったし、そんなに大量のコンクリートを必要とするものでもなかった。)、運送会社のトラックの助手(当時運転免許を持っていなかったので、これは違法だ!)等々。
こういった危険な仕事は賃金も高いし達成感もあります。
まあ、そんなこんなで夏休みを目一杯使うことにしました。
 
 
 
室蘭出身の友人は父親が当時の国鉄職員だったこともあり、彼は特別のきっぷで交通費は殆ど問題にならなかったと思うのですが、私っはそうはいかず、九州周遊券を使うことにしました。これだと急行自由席も乗り放題です。新幹線はおろか、在来線の特急も選択肢に入っていなかった貧乏学生の私達は急行に乗れるだけでも幸せだったのです。
   途中の検札印がベタベタ押されている。
 
3週間という長期旅行で問題になるのは宿泊代。私たちは徹底的に公共の施設を利用しました。さらに、キャンプ用にテント一張りも持っていきました。
大学の寮は超安価。国鉄の寮は安価で食事付き。
最も有効に利用したのが、公民館、図書館、小学校。これらは無料。周遊券とあって、九州内乗り放題で、車中泊も大いに利用しました。
 
行き当たりばったりでしたが、学習室に泊めてくれた図書館もありましたし、庭にテントを張らせてくれた公民館もありました。
小学校では当直の先生と夜遅くまで語り合ったこともありました。
 
23泊24日の旅行で、そのうち車中6泊小学校・公民館(無料)5泊知人宅4泊大学寮4泊キャンプ場2泊国鉄寮2泊という体力のいる旅でした。
 
さて、その旅行、7月23日に九州入りしました。
 
7月22日                   7月23日
姫路(2023)--[急行 雲仙・西海]--(0645)博多
本州を西へ向かい、本州最後は7月22日、姫路であった。姫路城へチラッと寄り、その晩に急行「雲仙・西海」(もちろん自由席)をホテルにし、23日6:45に博多へ着きました。初めての九州上陸です。
 
北部九州についてはまたの機会に。
 
【三角線】 
三角から宇土までの短い区間の路線は三角線と呼ばれます。
7月28日
長崎(0900)--[急行 九重]--(0936)諫早—-<島原鉄道>—-島原外港(1410)~~<九州商船>~~三角(1540)--[急行 第2火の山]--(1619)熊本(泊~国鉄寮)
 
博多到着後、北部九州を巡り、7月28日に長崎から長崎本線で諫早へ行き、諫早からは島原鉄道に乗り島原外港へ。そこからフェリーで三角へ渡りました。
  島原鉄道きっぷ
 
汗びっしょりの学生2人の横には誰も寄ってこず、満員でも楽々旅行でした。島鉄で出会った人と後に思わぬ形で再会することになるとは、その時、全く予想していませんでした。(これについては長崎本線筑豊本線、あるいは筑肥線の時に書こうと思います。)
 
今は三角線に急行や特急は走っていませんが、当時この線には熊本直通の急行が走っていて、私達が乗ったのは「第二火の山」でした。39分で熊本へ着き、そこで国鉄寮に泊まりました。
 
【肥薩線】
急行の旅は続く。熊本から八代までは鹿児島本線ですが、八代からは肥薩線です。
7月29日
熊本(1030)--[急行 第1えびの]--(1206)人吉(1226)==[バス]==(1430)竹ノ川(1810)==[バス]==(2000)人吉(泊~国鉄寮)
 
肥薩線経由の急行「第1えびの」で人吉へ行きました。今なら特急「くま川」とういところでしょうか。人吉駅前で食道に入りましたが、そこで注文した親子丼がまずく、決してここでは食事をするまいと思いました。行かれた方はご存じでしょうが、球磨川に沿って走るこの線からの眺めはまさに絶景でした。
 
五家荘へ行きたかったのですが、土砂崩れのため人吉からのバスは竹ノ川(五木村)止まり。仕方なく12:26にバスで竹ノ川(五木村)へ行きました。人吉からのバスが1日2往復しかないので、帰りはどうしても18:10のバスに乗らなければなりません。
五木村では飯盒炊爨でカレーライスを作り、球磨川へ遊びに来ていた地元の子供達と一緒に食べました。
  球磨川で飯盒炊爨。は若き日のなごやん。体型は今よりちょっとポチャ(これで)。
 
村では土地の人たちが玖(球)磨川ダム建設に反対していました。
その晩は五木から戻り、人吉の国鉄寮に泊まりました。
 
【吉都線】
さて、いよいよえびの高原です。
7月30日
人吉(1210)--[急行 第1えびの]--(1342)小林(1352)--[バス]--(1500)えびの高原(泊~キャンプ場)
 
肥薩線は隼人へ続く路線ですが、吉松から都城へ行く路線は吉都(きつと)線で、八代-吉松-都城は「えびの高原線」とも呼ばれます。
肥薩線の人吉-吉松間は球磨川から離れ山の中を進みます。途中大畑でのスイッチバックは初めての経験でした。なにしろ、単純なスイッチバックだけでなく、ループ式との組み合わせです。
吉松からは吉都線になり、ほどなく小林に着きました。そこからはバスでえびの高原キャンプ場へ行きました。キャンプ場から望む霧のかかった韓国岳(からくにだけ)は神秘的でした。
えびの高原は南九州随一のキャンプ地であり、夏でありながら朝のヒンヤリ感はなんともいえないすがすがしさでした。
 
まだまだ九州一周旅行は続くのですが、ここからの日豊本線指宿枕崎線第36回になりそうです。
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