Monthly Archives: 7月 2009

なごやんの鉄道日記(05)

今日、職場でたまたま国分寺から来た女子学生に会いました。
 
私:おお、国分寺、中央線だね。本当は中央本線っていうんだよね。
彼女:はい、そうです。
私:中央本線て東京からどこまでだと思う?
彼女:・・・
私:名古屋までだよ。
彼女:えーっ、そうなんですか!?
私:東京からだと岡谷、塩尻から松本へ行ってるよね。あずさとか。
彼女:はい、知ってます。
私:でも塩尻からは篠ノ井線なんだよ。名古屋からも塩尻経由で松本へ行っているの、しなのがね。東京から塩尻を経由して名古屋へつながる線。それが中央本線なの。
彼女:ニコッ(わかってるんかなぁ?)
 
鉄道日記第5回は東京と名古屋を結ぶ中央本線です。東京から名古屋へ来るのにこの線を使う人は極めて希でしょうけどね、今では。
以前は東京から名古屋へ向かう方向を下り、名古屋から東京へ向かう方を上りと呼んでいました。ですから、名古屋から中津川、木曽福島を経て塩尻への方向が上りでした。
国鉄がJRに分割された今は、名古屋へ向かう方向を上りと言っています。
 
 
今回は古い国鉄切符のオンパレードです。(まあ大したことはありませんけど。)
 
関東地方、特に東京の人たちにとっては中央本線というより中央線という呼び方が親しめるかもしれません。しかし、JRとしての正式な呼び名は中央本線です。
この線は東京を起点に、新宿を通り長野県の塩尻そして岐阜県を通って名古屋に連なります。約400kmあります。塩尻を境に東は中央東線、西は中央西線とも言われます。
東京から新宿へ行く時の東京-神田間は山手線と共有しています。一方、名古屋市内の金山-名古屋間は東海道線と平行しますが、全くの別路線で、2線が交りあうことはありません。
また、岡谷-塩尻間は辰野を通る経路とみどり湖を通る経路の2つがあります。
 
中央本線の特急「あずさ」は1970年代、全国に名を馳せました。狩人の歌った「あずさ2号」がヒットしたのです。
 あした私は旅に出ます
   あなたの知らない人と2人で・・・
   ・・・
   8時ちょうどのあずさ2号で
   私は 私は あなたから旅立ちます。
 
この当時、下り列車に偶数番号、上り列車に奇数番号がついていました。ですから、あずさ2号は東京発8時の列車でした。塩尻から篠ノ井線に入り、松本に到着するのは11時46分。3時間46分の旅でした。
現在は上りに偶数番号、下りに奇数番号がついていますので、あずさ2号は松本発東京行きです。
現在東京発8時の松本行き特急はスーパーあずさ5号で、松本着が10時37分。なんと1時間9分の短縮です。
 
さて、今から半世紀前、中央本線は都内でもやはり中央本線でした。
今なら東京から新宿へ行くのも、国分寺へ行くのも、SUICAPASMOを使い、切符を買うことなど滅多にないのでしょうが、以前は図入りの切符がちゃんとありました。
   10円でこんなに行けたんですね。
1958~1959年の乗車券。幼少時、世田谷に住む従兄からもらった貴重な(笑)まだ見ぬ東京の切符です。
 
 新宿東京は、地方に住む私にとっては遠い世界だったのです。(ただし、憧れはありませんでした。)
  2等車は3等車と違い、20%の付加価値税上乗せがありました。
 東京-新宿なんて駅名入りの堂々としたものです。
 
信濃町から中央本線を通り新宿から京王帝都電鉄千歳烏山行きなんてのもあったり。
   見にくいですが、これも国鉄の切符です。
 
一方、中央西線を快速あるいは普通列車で名古屋から下り方向へ進み、都心、郊外を抜けると定光寺古虎渓といったちょっとした渓谷に入ります。そして内津峠のトンネルを抜けると、東濃地方の中心地、多治見の市街地が眼下に広がります。さらに北東へ行くと化石の宝庫瑞浪釜戸を抜け、中津川を越したころから「木曽」のニオイが漂ってきます。馬籠妻籠の宿場をぶらぶらしようという乗客はここ中津川や次の坂下で下車します。
そこからは、まさに信濃の国、中央西線は塩尻からは東京からの中央東線同様、篠ノ井線経由で松本へと入っていきます。
特急「しなの」に乗ると、木曽川沿いの「寝覚めの床」付近でアナウンスが入ります。うらしま伝説の紹介です。
 
この路線は私が若い時代、野沢温泉などへのスキー旅行、松本近辺の昆虫採集などによく利用しました。
そんな時、当時走っていた寝台急行の「きそ」をよく使いました。
  寝台急行「きそ」の急行券・寝台券。
 1月14日というのですから、野沢温泉かどこかへスキーに行く時に使ったと思います。
 
最近では青春18きっぷを使い、松本から大糸線に入って、安曇野をぶらぶらします。今年は行けるかどうかわかりません。
 
さて、一時期岐阜県多治見市に住んでいた私は度々中央本線で名古屋へ出ましたが、ある時、「さよなら80系」の記念切符の発行に出くわしました。
この電車はかつて「湘南電車」と呼ばれたものでなんとなくこぢんまりした雰囲気がありました。
  さよなら80記念きっぷ
 
 2つ折りになっていて、開くと座席図が描いてあります。
 
80系は普通電車として名古屋近郊を走っていました。
 
この近辺の中央本線の切符の変遷も載せてみようかなとも思ったのですが、整理がめんどうですのでやめました。
代わりにこんな券をアップしておきます。 
  乗り越した時、精算窓口でもらう精算済券 これで改札を通ります。
 本当は改札係に手渡してくるんですけどね。「リユース券」だし。どうしてこういう券を持っているのか不思議ですね。^ ^
 
私にとって、中央本線は今でも新幹線を含む東海道・山陽本線山手線に次いで利用頻度の高い路線だと思います。
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ホーム 山形戦

天地人ダービーがキックオフだ。
今日はBSNラジオで実況中継があるのだが、雷が鳴っていて雑音しか入らない。第一18時じゃ早すぎる。
まあ、いつも通りJ’s GOAL中心にしよう。
前半終了。アルビは圧倒的にボールを支配しているんだけどなぁ。
 
山形はしっかり守って後半勝負か。セットプレーに注意だな。
さて、入浴タイム。
 
後半2分。
  マルシオだ~~~!
 
おっ、ヨンチョルだ。怪我から復帰だな。
それにしても追加点が・・・
何、川崎が負けてるゾ。よし、勝とう。勝って勝ち点でも単独2位だ。
 
で、後半43分、同点!? またか。orz
 
引き分け、同じことを何回繰り返すんだ。
シリーズが終わった後振り返ると、この引き分けは大きいかもよ。

なごやんの鉄道日記(04)

旅 出会い
 
鉄道日記第4回は筑豊本線日田彦山線後藤寺線篠栗線。九州のローカル線です。
 
 
私は学生時代、興味はあるもののあまり得意ではなく、さりとて私の大学にはその道の専門家が少ないという分野があったため、卒業前年の春休み、九州大学関連の施設へ勉強に行きました。そこでは独身寮に空き部屋があり、私に食事つき無料で提供してくれたのです。(学生の特権だ!)
遠路でしたがそこに2週間滞在することにしました。
 
さて、2週間の「研修」を終えて帰るのですが、ふと前に友人と行った九州旅行の際、島原鉄道で知り合った女性を思い出しました。彼女は佐世保の小学校で教師をしていて、私たちより少し年上の息子がいると聞いていました。たまたま電話番号を教えてもらっていたため(今で言えば、メルアドの交換というところか)、思い切り電話をしてみたのです。
そうすると、「丁度今、息子が帰ってきていることだし、いらっしゃい」ということで、福岡から佐世保まで行くことにしました。
  今は地下鉄駅になっている西新から佐世保へ
 
次の日に鹿児島本線長崎本線佐世保線経由で佐世保へ行きました。息子さんの運転で一挙に雲仙岳までドライブし、また佐世保へ帰って、そこで泊めてもらったのです。
最初は全く偶然の出会いでしたが、その後、こんな付き合いが待っているとは想像していませんでした。
 
【筑豊本線・篠栗線】 
4月5日
佐世保(1030)--[特急かもめ]--(2136)大阪
 
筑豊本線を使ったのはその帰りのことです。
 
筑豊本線は北九州市の若松から折尾を通り鹿児島本線の原田にぶつかるところまでの路線ですが、現在、繁用されるのは途中の桂川(けいせん)から博多につながる篠栗線との連続で、福北ゆたか線とも呼ばれます。
 
私が九州へ行ったこの頃、いくつかの特急が九州と本州をつないでいて、佐世保からはかもめが大阪まで走っていましたが、その際九州地域内で使った路線が筑豊本線でした。寝台特急あかつきもここを通っていました。
 
  
佐世保から筑豊、山陽、北陸本線を通って新潟突入    かもめの立ち席特急券
 
当時は特急には自由席はなく、指定席が満席になると「立席特急券」を発売し、もし空席があれば座ることができるシステムでした。
私の乗ったかもめは最初は満席でしたが、途中で席が空いたため座って、隣りの若い女性とたわいもない会話をしながら、しばらくそれなりに楽しい時間を過ごしました。
しかし、ほどなく指定席の客が乗ってきて、やはり立たされてしまいましたた。結局、11時間の長旅の中で半分くらいは立っていたのではないでしょうか。
 
1年位後で、友人の結婚披露宴へ出席する機会がありました。場所は青森です。
そこで、なんと、かもめで隣に座っていた女性とバッタリ顔を合わせたのです。
彼女はその結婚式場(ホテル)の従業員で、ウェイトレスとして食事をサーブしていたのです。
もちろん名前も住所も知らない2人でしたが、式場でバッタリ顔を合わせた彼女と私はお互い「エッ!」という顔をし、こんなこともあるのかと思うくらい驚きました。多分、2人とも一瞬呼吸が止まったのではないでしょうか?
目と目を合わせ会釈はしましたが、彼女は仕事、私は単に一人の客ということで、言葉を交わすこともなく過ぎていきました。
 
【日田彦山線】
残念ながら私はこの路線を通ったことがないので日記は書けません。
 
旅は道連れなどと言いいますが、以前は隣、あるいは向い側に座った人と色々な話をしながら列車の旅を続けたものです。そんな中で新しい知り合いができることもあったでしょうし、恋が芽生えることがあったかもしれません。
今は残念ながらそんな習慣も雰囲気もありません。隣の人が何者であるか疑心暗鬼で、時には荷物をしっかり抱え、降車駅まで目を見開いていかなければならないことすらあります。
スピードアップのため人と言葉を交わす間もなく目的地に着いてしまったりもします。
悲しいことですが現実です。
 
一概に「昔はよかった」などと言うつもりはありませんが、まあ、のんびりした時代でした。
いずれ、外国での「不思議な巡り合わせ」についても書こうと思っています。

青春18きっぷの季節だ!

またこの季節が巡ってきた。そう、青春18きっぷの季節だ。
春は引っ越しやらなんやらで青春18どころではなかったが、この夏は7月20日から使用可能になった。
私は青春18と聞いただけで体がうずうずしてしまう。
解禁日の昨日、まずは手始めに京都へ行くことにした。目的は京都市美術館のルーブル美術館展ほか。
ルーブル美術館展は以前東京でやっていたのと同じだが、その時はBunkamuraのトレチャコフ美術館展へ行ったためパスしていた。
青春18きっぷは事前に金券ショップで買っておいた。11,500円が11,400円。東京の金券ショップだともっと安くなりそうだが、名古屋では店によって11,300円になるのがせいぜいだ。
 
いつもなら、朝、京都へ行く時には東京発、「ムーンライトながら」を使うのだが今年3月のJRダイヤ改定で季節列車になるとともに、ナント、浜松から名古屋までノンストップで、しかも名古屋発の時刻には我が家から名古屋駅へ行く交通手段がない!
まるっきし嫌がらせをされているようなものだ。
 
まあ、開場は9時なのでとにかく朝早く出て京都へ行った。
岡崎公園地区にある京都市美術館はそれほど大きくない。ルーブルから70点だけだし、まあいいだろうと思っていたのだが、大違い。
  京都市美術館
 
狭い会場に所狭しとディスプレーされ、入場者も多く、落ち着いて観ることができない。
いつものように、とりあえず空いている所から隙間を縫って見て回った。フェルメールの「レースを編む女」の前は人が一杯。その横のハルス「リュートを持つ道化師」の前はガラーン。
なんで?この顔、この顔つき、みんなどうしてちゃんと観ないの?
 
どの部屋でも係員が「立ち止まらず、ゆっくり歩きながらご覧ください。」と頻繁に叫ぶ。
私はたまらず「んなことできるわけないじゃん。」と言うと「はい、私もそう思います。でも、お金をいただいて仕事をしていると・・・
まあ、それもそうだが、私が同情しつつクスクス笑っていると、彼はどこかへ交渉(?)に行った。 それ以後「立ち止まらず・・・」のアナウンスはなくなった。(言ってよかったよ。)
 
そんなこんなで昼まで過ごし、昼食は近くのそば屋さんでとった。
20人ほどしか入らない調理師2名の小さな店で、注文を受けてから客ごとに全ての用意をするため、少々時間がかかる。その代わり味は抜群で上品であった。
   (いずれの写真もブログ掲載許可済み)
    店の入り口~この気品、いいねぇ                                昼食は単品で「京しっぽく」 上品!
 
午後は壬生にある清宗根付館へいくことにした。地下鉄東西線に東山駅から二条駅まで乗り、健脚のなごやんはそこから三条通、四条通を横切り、徒歩で根付館へ行った。
壬生寺の向かいにある有形文化財の邸宅はもちろん立派だが、ここの根付のコレクションはとにかく素晴らしい。
年間に4回、期間を区切って一般公開していて、今回は7月1日~7月31日。
日本の伝統文化である根付ではあるが、私は真面目に見たことがなかったので、繊細さとともに、ひとつひとつの作品に込められた作者の思い-それは時に皮肉であったりユーモアであったりするのだが-にすっかり魅了されてしまった。
 
帰りは二条駅から山陰本線で京都へ行った。駅にある美術館「えき」KYOTOでは大鉄道展をやっていたが、今回は諦めた。期間中にまた行くことがあるかもしれないし。
帰りは京都から米原経由敦賀行きの新快速、米原からは豊橋行きの新快速で、京都から草津付近までは席がなかったが、それ以後はゆったり座ることができた。
 
次はどこへ行こう?

アウェー 横浜Fマリノス戦

今日は諸事情で横浜へ行けず腐っていたら、BSで実況中継のあることを知った。
勇んでネットカフェへ行き、BSの見られる個室を確保し、テレビをつけた。しかし映らない!
カウンターへ行って聞くと「当店BS本体が故障していて、修理に出しています」とのこと。うううっ、こんな大事な日に。
他にはBSの見られるネットカフェを知らない私はすぐさま退散し、家へ戻った。
いつものようにJ’s GOAL等々。まあ、結局これか。
 
ニッカンによると、序盤は結構けり合いになっているようだ。
そんで、ナニ、北野の控えは渡辺泰広って、オイオイ。
ゴートクもシュートしてるな。よしよし。貴章の力を借りず、自分1人の力で頑張れよ、ゴートク。
 
と、そうこうするうち、前半24分
   キショー! 左足だって。
 
よし、1点リードで折り返し。
さあ、後半だ。・・・・で、ナニ、同点!?
それでもって、なんか攻め込まれているの?
 
後半29分、洋司に代えてジウトン。大丈夫か? 試合をぶち壊すなよ、ジウトン。
後半30分まででマリノスのシュート20本、アルビは9本。アルビは後半、シュート1本もなし。いいか?
 
今日、川崎は既に神戸と引き分けている。
鹿島、浦和も現在まで同点だ。こういう時には勝たなくちゃ。
 
他会場~大分がリードだ。頑張れ大分!
さあ、あと5分。引き分け狙いはダメだよ。
後半ゴートク→デビ純だ。さあ、しっかり守って追加点も狙おう。
 
1-1
結局ドローか。
でも、浦和は負けた。大分、よくやった!
鹿島もドロー。
 
現地応援のみなさん、お疲れさまでした。

なごやんの鉄道日記(03)

この種の日記は、どうも長くなっていけませんね。^ ^;
 
なごやんの鉄道日記第3回は飯田線身延線小海線で、前2線は現在JR東海の区域にありますが、小海線はJR東日本です。
特に飯田線は私にとっては地元線のひとつで、利用頻度もそこそこ高く馴染み深いのです。日本一長いローカル線というのがいいですね。
あっ、ローカルな話になってしまいました。
 
 
【飯田線】
この線は豊橋(愛知県)と辰野(長野県)を結び、豊橋-豊川間は通勤列車としてもよく利用されています。
飯田線に乗り中部天竜で降りると、そこにはJR東海の運営する佐久間レールパークがあり、この近辺を走った列車が展示されています。
このレールバークは残念ながら、今年の11月で閉館となりますが、子供などは大いに楽しめるところです。
 
私は佐久間レーパークには1度しか行ったことがありませんが、飯田線沿線でよく利用した駅は湯谷温泉飯島です。
湯谷には温泉があり、駅を降りるとすぐに温泉街になります。温泉街と言っても道路沿いに何軒かの旅館が並ぶ程度のもので、熱海や草津などのような超有名温泉地とは異なります。もちろん芸者さんなどはいません。(と思います。)
しかし、ここにある旅館の対応はどこも暖かく、しかも愛知県でも名古屋、豊橋と言った都市部からでも無理なく行けるので気軽に温泉へ浸かりたい人にとっては重宝です。
私は、最近でこそとんとご無沙汰していますが、以前はよく正月休みなどに1~2泊したものです。ここからは鳳来寺山に登ることもでき、鳳来寺山から鳳来寺を通り三河大野へ降りてくるルートは私の「勝手知ったるナントカ」でした。
冬でも雪が積もるわけではないので、少々体力があればそんなに苦労をしません。
 
飯島は昆虫採集の拠点としてたまに訪れました。広葉樹の多いこの近辺の森にはオオムラサキや各種のゼフィルス(ミドリシジミの類)が住み、蝶に興味のある人にはもってこいで、私もカメムシ採集ついでに8m竿や10m竿を持って行き、高い梢にひそむそれらの蝶を採ったりもしました。
(ここに示した昆虫写真は全て私が採集し、現在標本箱に保管してあるものです。)
 
     ←アオクチブトカメムシ(♂)
長野県は昆虫の宝庫(が私) 飯島町にて       山地性のカメムシには美しい種が多い
 
飯島町には日本の国蝶オオムラサキが多産します。これを採るには8~10mの竿が必要です。
 
  
           日本の国蝶オオムラサキ()     キラキラ輝くゼフィルス(ミドリシジミの類)は人気筆頭
 
現在はこの路線にワイドビュー伊那路という特急が運行されていて、車両は373系の電車です。
 
ずっと以前は恐らく普通電車しかなかったと思うのですが、私の持っている切符には中部天竜から(橋)、(東海道?)(線?)、(川)経由吉祥寺行きというのがあり、昭和33年(1958年)の発行になってます。
この切符はもちろん私が使ったものではなく、タブン、東京の従兄がくれたものだと思いますが、誰が使ったのかは不明です。学生となっているので、帰省か何かの折に使用したのでしょう。
  中部天竜発吉祥寺行きの国鉄切符
 

  ←クリックするといいかも。

【身延線】
甲府と富士とを結ぶ身延線は身延線トレッキングなどと称して、JR東海が観光というより、健康ブームにのっかり、現在利用促進に力を入れている線です。
ここを走るワイドビューふじかわは飯田線のワイドビュー伊奈路と同じ373系です。
Jリーグの2005年シーズンでの降格、甲府の昇格が決まり、それまで柏はとても遠くていけないと決め込み、現地応援していなかった私は、「来季は近くにもう1つ行けるチームが来るぞ。身延線経由だ。」と喜びました。しかし、名古屋から最も短時間で甲府へ行こうとすると、中央(西)線-塩尻-中央(東線)経由で、最短3時間、次が東京あるいは横浜経由。すぐそこの静岡-身延線経由が最も長時間の旅なのです。
2006年は「川中島ダービー」と称して松本(アルウィン)で試合をしてくれたので現地へ行くことができましたが、翌2007年はリーグ戦、ナビスコ杯戦ともに小瀬で、しかも水曜日の夜とあって、ついぞ行くことはできませんでした。
 
私は1度だけ長野県富士見町からの帰りに中央線を戻るのではなく、せっかくの機会なので敢えて甲府経由とし、甲府から身延線、ワイドビューふじかわで静岡へ出てそこから新幹線を使ったことがあります。もちろん、遠回りですが、時間のある時にはこれまでと違ったところへ回ってみるのも楽しいものです。
新しい出会いが待っているかもしれません。・・・か?・・・あるんです、実は。次回はそんな話も入れましょう。
 
【小海線】
小淵沢と小諸を結ぶ小海(こうみ)線は八ヶ岳高原線とも呼ばれます。途中にある清里山口百恵のペンションがあるとかなんとかで、一頃観光ブームの真っただ中に置かれました。
私がこの線を通ったのは1度だけです。卒業して間もなく、用事で長野県臼田町へ行きました。中央西線中央東線、そして小海線とつないで行った臼田町での用事を終え、小諸へ足を延ばしました。
小諸城をぶらぶらしたのですが、そこでスケッチをしているおじさんに出会ったのです。じっと見ていると彼は話しかけてきて、自分の描いた絵を私にくれました。裏に名前が書いてあったのですが、私はその人を知る由もなく、しかし、風情のある落ち着いた絵でしたのでもらって帰り、しばらくは部屋に飾ってあったのですが、引っ越し等で段ボール箱にしまい込み、今すぐには出せない状況です。まあ、どこかにはあるのでしょうが。
小諸城では、草笛を吹いているおじさんにも会いました。草笛で聴くアカトンボもなかなか風流なものでした。
 
飯田線、身延線、小海線ともに観光で行くなら紅葉の秋でしょうね。
 
昆虫採集は時として自然破壊として批判の対象になりますが、これまで普通の採集の影響を受け絶滅した昆虫は知られていませんし、多くの昆虫愛好者は自然をとても大切にしています。昆虫が激減している原因の多くは「開発」であったり、台風、洪水等の自然(一部人為的)災害でであったりします。

早かった「くろさき茶豆」

今日、用事があって街へ出たついでにデパ地下へ行ったら極早生茶豆というのが置いてあった。
250gで480円だからこれまで8月に買っていたものと比べるとかなり安いのだが、極早生だから、味はどうかな?と思いつつも取り敢えず買ってきた。
これから茹でて食べてみるけど、今日は禁酒日なので、さて、どうやって食そう。
  昨年の黒崎茶豆と今年のくろさき茶豆。どう違うのか?くろさき茶豆は黒崎茶豆ではありませんでした。

ホーム 川崎戦

今日は東京でウチが主催する研修会があり、出張とあいなった。
私の役割は研修会の司会。研修受講者89名。
場所は代々木。駅の近くの某所。(代ゼミじゃないよ。)
 
プログラムによると終了は18時50分。 誰だ!こんなヒドイ計画立てたヤツは・・・と怒ってみたが、私も決裁印を押していた。orz
 
そうすると、試合中は帰りの新幹線の中だ。ネット応援もできない。かわいそ過ぎだよ。
よし、ここは仕切りやの腕のみせどころだ とばかり密かに作戦を立てる。見てろよ!
 
とにかく休憩時間をきっちり守り余裕を与えない。(受講者のみなさん、すみません。)
全体に少しずつ早めに進んでいく。
途中、事務局から「結構余裕がありますので、休憩を十分とってもらっていいですよ。」て。
余計なお世話だよ。考えてやってるんだから。
 
そして、最後の講師の前まで25分の前倒し。(シメシメ
ところが、あまりに速く進みすぎて講師がまだ来ていない!
 
で、17時5分頃に講師到着。17時25分開始予定を早めてもらう。17時15分に始めようと思ったが、焦る私はそれまで待てない。
17時12分にスタートさせた。
講師は予定通り75分で講義を終了し、質疑の時間。
 
私の「ご質問のある方・・・」に2人挙手(このKYめが。みんな早く帰りたがってるんだよ。)
しつこい質問に丁寧に答える講師。(モウ、いい加減にいなしてくれないかなぁ。)
「他には?・・・」さっきの残りの1人に加え、もう1人挙手(ヤバイ、質問合戦になりそうだ。このまま増えたら収拾がつかない。)
その質疑が終わると、すかさず、「もうおひとかた。」とさっきの3人目を指差し、暗に4人目の挙手を牽制する。
そして、その質疑が終わったところでタイムアップの長い笛(は鳴らさなかったが。)
18時40分。よしっ、なんとか10分早く終わったぞ。
 
スタッフに「お疲れ様。ちょっとお先に失礼します。」とかなんとか言ってJR代々木駅へ急いだ。
下車は次の駅新宿。そして、まっしぐらにサッカーバー F
それにしても、この雑踏はなんだ。東京は人が多すぎだ。ちっとも前へ進まないじゃないか。
 
なんとかそのバーへ着いた時には試合開始から4分を過ぎていた。
オヤジさんが言うには中断開けに少々客数が減少していたようだが、この日は一杯で、隅の方になんとか席を作ってもらった。
 
試合のことは・・・まあ、言うまい。 でも少し言いたい。
 
なんか、学習能力欠如というか、何回同じことを繰り返すんだよ。
確かに川崎は手強かったが。
しかしねぇ、大島に代えてジウトンというのには店の多くが「えっ!」って言ってたよ、監督さん。日韓オールスターなんてどうだっていいじゃない。
守備固めでしょ、守備固め。
ジウトン自身は大島に変わって入ったんだから、攻撃参加が役割だと考えたんじゃないか?
はっきり言ってジウトンが入ってからガタガタになったし、最後の最後だって・・・
 
11回目のプロポーズに11回目のごめんなさい(これは両クラブが相談して考えた企画に違いないと思うのだが)の決着はどうしよう。
 
とりあえずは「ごめんなさい」でなく「チョット考えさせてね」になってしまったということだろうか。
だとしたら、来年はきっぱり「ごめんなさい」を言おう。
もちろん、今季は等々力でリベンジに近い勝利を勝ち取らなければね。
 
次節はマルシオも千代反田も出場停止だぞ。いいか?
 
現地応援の皆さん、お疲れさまでした。

アウェー 柏戦

今日は現地応援するつもりでチケットは買っていたが、午後からなんとも時間繰りができなくなって断念した。
前売りのアウェーゴール裏は完売だったようで、私が買っていなければ、もう1人G裏参戦ができたかと思うと申し訳ない。
 
スカパー難民の私には、今日、ラジオ中継という手段があり、BSNラジオにチャレンジすることとした。
18時30分からの放送だが、この時刻はまだ薄明るく、入感せず、まずはOFFのまま待つ。
それにしても、雑音遮断のため、蛍光灯もエアコンも切っておくのはこたえる。
キーをブラインドで打つのはどうってないのだが、暗いところでポツンとパソコンの画面というのは、どう考えても目によくない。
このブログを最前列にし、後にニッカン、横にJ’s GOALのスコア、サブのPCが後方でニフティの文字中継。
 
さて、19時04分、キックオフ。
しかし、BSNはまだ入感しない。まあ、鉄筋の建物なんて全体がシールドルームみたいなものだから、室内アンテナで聴くなんてどだい無理なことなのだが、それをなんとか頑張るのが昔短波(BSNは中波)少年だったなごやんなのだ。
 
19時10分、少し声が聞こえるようなった。内容把握はできない。もうしばらくの辛抱だ。南海放送、邪魔するなよ。
 
  とかなんとかワケワカランうちに前半7分、オウンゴールって!
村上のクリアミス(ニッカン)らしい。
でも、ゴールはゴール。新潟にとっての偶然、柏にとっての必然て言うのかな?
 
おお、ラジオはよく聞こえるよになったぞ。でも、ナニ、プロ野球?・・・南海放送だ!前の住宅では圧倒的にBSNがよく入ったのに。
そりゃ、理論的には北へ行くほど新潟放送と南海放送が拮抗するのはわかるけど、たかだか数百メートル北移動しただけだよ。
それにしても、今日は南海放送が出たり入ったりするだけで新潟放送は全く入感せず。屋外アンテナを考慮しなくちゃいけないな。
 
う~ん、でもオウンゴールだけでなく得点してほしいなぁ。
  おっ、前半ロスタイム、マルシオのゴール。
右31mからグラウンダー(ニッカン)。地を這うようなシュートだったんだ。
よし、2-0で折り返しだ。
 
  前半の画像処理をしているうちにペドロのゴール。
早すぎだ! シャッターチャンスを逃してしまった。(笑)
 
もう、こうなったら貴章も大島も松下もゴールしちゃえ!
 
20時30分、アンテナを南海放送とほぼ直角の方向にし、かすかにBSNが入るようになる。しかし、内容把握は困難だ。なんとか聞こえるが。
 
 後半40分頃、柏は前戦に攻撃の人数を増やしてきている。(BSN)
 
 おおおっ。PKだ。 蹴るのは?・・・ペドロか。頼むよ。
  もちろんしっかり決めて4点目。
さあ、ロスタイムに変な失点しないでよ。
 
はい、予定通り完勝。3連勝だ。
 
 
 
でも、浦和も勝っちゃったね。高原が蘇ってきたか? エジ-タカ、ちょっと恐いかも。
 現地参戦のみなさん、お疲れさまでした。

なごやんの鉄道日記(02)

さあ、また日本昔話の始まりだよ。今日は第2回。
 
昨日発売の鉄道全路線図、今回は肥薩線、吉都線、三角線でした。 
 
 
九州と聞いて学生時代を思い出しました。
 
大学2年の夏休み、友人と2人で九州一周旅行を試みたのです。
 
当時、奨学金+家庭教師で学生生活を送っていた私ですが、この旅行のため、「高額バイト」に挑戦しました。
山の観光道路にかかる橋建設の測量、児童館建築のセメント運びとセメントこね(コンクリートミキサー車は地方都市では普及していなかったし、そんなに大量のコンクリートを必要とするものでもなかった。)、運送会社のトラックの助手(当時運転免許を持っていなかったので、これは違法だ!)等々。
こういった危険な仕事は賃金も高いし達成感もあります。
まあ、そんなこんなで夏休みを目一杯使うことにしました。
 
 
 
室蘭出身の友人は父親が当時の国鉄職員だったこともあり、彼は特別のきっぷで交通費は殆ど問題にならなかったと思うのですが、私っはそうはいかず、九州周遊券を使うことにしました。これだと急行自由席も乗り放題です。新幹線はおろか、在来線の特急も選択肢に入っていなかった貧乏学生の私達は急行に乗れるだけでも幸せだったのです。
   途中の検札印がベタベタ押されている。
 
3週間という長期旅行で問題になるのは宿泊代。私たちは徹底的に公共の施設を利用しました。さらに、キャンプ用にテント一張りも持っていきました。
大学の寮は超安価。国鉄の寮は安価で食事付き。
最も有効に利用したのが、公民館、図書館、小学校。これらは無料。周遊券とあって、九州内乗り放題で、車中泊も大いに利用しました。
 
行き当たりばったりでしたが、学習室に泊めてくれた図書館もありましたし、庭にテントを張らせてくれた公民館もありました。
小学校では当直の先生と夜遅くまで語り合ったこともありました。
 
23泊24日の旅行で、そのうち車中6泊小学校・公民館(無料)5泊知人宅4泊大学寮4泊キャンプ場2泊国鉄寮2泊という体力のいる旅でした。
 
さて、その旅行、7月23日に九州入りしました。
 
7月22日                   7月23日
姫路(2023)--[急行 雲仙・西海]--(0645)博多
本州を西へ向かい、本州最後は7月22日、姫路であった。姫路城へチラッと寄り、その晩に急行「雲仙・西海」(もちろん自由席)をホテルにし、23日6:45に博多へ着きました。初めての九州上陸です。
 
北部九州についてはまたの機会に。
 
【三角線】 
三角から宇土までの短い区間の路線は三角線と呼ばれます。
7月28日
長崎(0900)--[急行 九重]--(0936)諫早—-<島原鉄道>—-島原外港(1410)~~<九州商船>~~三角(1540)--[急行 第2火の山]--(1619)熊本(泊~国鉄寮)
 
博多到着後、北部九州を巡り、7月28日に長崎から長崎本線で諫早へ行き、諫早からは島原鉄道に乗り島原外港へ。そこからフェリーで三角へ渡りました。
  島原鉄道きっぷ
 
汗びっしょりの学生2人の横には誰も寄ってこず、満員でも楽々旅行でした。島鉄で出会った人と後に思わぬ形で再会することになるとは、その時、全く予想していませんでした。(これについては長崎本線筑豊本線、あるいは筑肥線の時に書こうと思います。)
 
今は三角線に急行や特急は走っていませんが、当時この線には熊本直通の急行が走っていて、私達が乗ったのは「第二火の山」でした。39分で熊本へ着き、そこで国鉄寮に泊まりました。
 
【肥薩線】
急行の旅は続く。熊本から八代までは鹿児島本線ですが、八代からは肥薩線です。
7月29日
熊本(1030)--[急行 第1えびの]--(1206)人吉(1226)==[バス]==(1430)竹ノ川(1810)==[バス]==(2000)人吉(泊~国鉄寮)
 
肥薩線経由の急行「第1えびの」で人吉へ行きました。今なら特急「くま川」とういところでしょうか。人吉駅前で食道に入りましたが、そこで注文した親子丼がまずく、決してここでは食事をするまいと思いました。行かれた方はご存じでしょうが、球磨川に沿って走るこの線からの眺めはまさに絶景でした。
 
五家荘へ行きたかったのですが、土砂崩れのため人吉からのバスは竹ノ川(五木村)止まり。仕方なく12:26にバスで竹ノ川(五木村)へ行きました。人吉からのバスが1日2往復しかないので、帰りはどうしても18:10のバスに乗らなければなりません。
五木村では飯盒炊爨でカレーライスを作り、球磨川へ遊びに来ていた地元の子供達と一緒に食べました。
  球磨川で飯盒炊爨。は若き日のなごやん。体型は今よりちょっとポチャ(これで)。
 
村では土地の人たちが玖(球)磨川ダム建設に反対していました。
その晩は五木から戻り、人吉の国鉄寮に泊まりました。
 
【吉都線】
さて、いよいよえびの高原です。
7月30日
人吉(1210)--[急行 第1えびの]--(1342)小林(1352)--[バス]--(1500)えびの高原(泊~キャンプ場)
 
肥薩線は隼人へ続く路線ですが、吉松から都城へ行く路線は吉都(きつと)線で、八代-吉松-都城は「えびの高原線」とも呼ばれます。
肥薩線の人吉-吉松間は球磨川から離れ山の中を進みます。途中大畑でのスイッチバックは初めての経験でした。なにしろ、単純なスイッチバックだけでなく、ループ式との組み合わせです。
吉松からは吉都線になり、ほどなく小林に着きました。そこからはバスでえびの高原キャンプ場へ行きました。キャンプ場から望む霧のかかった韓国岳(からくにだけ)は神秘的でした。
えびの高原は南九州随一のキャンプ地であり、夏でありながら朝のヒンヤリ感はなんともいえないすがすがしさでした。
 
まだまだ九州一周旅行は続くのですが、ここからの日豊本線指宿枕崎線第36回になりそうです。